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人生が二度あれば

2016, 01, 12 火曜日

人は節目節目で今までの人生を振り返ると言うが
本当に精神的にまいってしまうと不穏なことを考えるものだなと思う


もともと貧乏な家だった。両親とも地方からの丁稚上京組であり、バックボーンがほとんどないところに俺と妹が生まれた。
それは苦労して育ててくれたと思う。親孝行できていないのが悲しい。

それでも当時まんべんなくみんな貧乏だった気もするので、健康であればそれなりの人生を送れたんじゃないかと思う。
今でも後悔しているのは中1の終わりに卒業式の手伝いをした時のことだ。
タイムマシンがあれば、いやその時の俺に通信できる手段があれば・・と切に思う。

卒業式の裏方で音響の手伝いをしていて、暖房も無い体育館で作業をしていた。
小便に行きたくなったが、静かに行われている卒業式の横から出ていくのもどうかと思ってしまってそのまま2時間ぐらい我慢してしまった。本当に今思えばサッと出て行って済ませてしまえばよかったのに・・
式が終わり便所に駆け込んだがたっぷり2分以上続いた。
その時は漏らさんでよかったぐらいにしか思っていなかった。

それからしばらくしてすぐ小便に行きたくなる症状になった。これはこないだ我慢しすぎたからかなぁとなんとなく思っていたが、しばらくしたら治るだろうと思っていた。ところがだんだんひどくなり、ついには1時限ごとに便所に駆け込むようになって、今思えば膀胱炎だったんだろうと思うが、親に相談しても気の持ちようだと言われ、ついには当時広告が出ていた「呼吸と精神統一」のトレーニングで我慢できるようになってしまった。後から思えばこれが決定的だった。この時点で検査していればよかったのだ。

それから1年、尿検査で危険なレベルの尿蛋白が検出され、入院して腎臓組織を直接取り出して検査したところ、慢性腎炎に罹患していることが判明した。
修学旅行も行けなくなり、激しい運動は禁止、根を詰めることも禁止。体育の授業の平常点がほとんど無いことになり、行きたかった高校からだいぶランクを落としたところしか受験できなかった。私立も受かっていたが費用の安い公立に行った。

服用している薬のせいなのか病気のせいなのか、身体が異常にだるく、やる気が出ない状態が続き、3年の時は日数で7割ぐらいしか登校できない状態が続いた。
結局集中して勉強することができず、大学には進まなかった。
専門学校を卒業したが求職にいいものがなく、卒業と同時に無職となる。

将来を悲観するという経験をしていた。だるく鬱の自分になにができるだろう。
このまま死んでしまうのだろうか
なんとか見つけた倉庫アルバイトを1年続け、知り合いの紹介で電気屋店頭での販売員派遣の仕事に就いた。それからは知らないことばかりで勉強また勉強の日々。
パソコンの売り場に行った時もまた勉強・・・
そんな状態を続けて続けて・・・
ある会社にやっと拾われて社員にはなったが、
もっと楽に生活ができるのはいつになるんだろう・・

18:02:22 心と体 | |

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