真珠採り
『あのとき言えなかった、ありがとう』
子供の頃は貧乏でした。
父親も母親も地方から出てきた集団就職。大阪で住み込み丁稚奉公をしていました。
見合いで結婚、僕と妹が産まれました。
下にどぶ川がある長屋で僕は育ちました。
父親は大工、母親は家で松下工場のテレビ部品ねじの取り付けの内職。学校から帰ったら母親が聞いていたラジオからはラジオ大阪の『円鏡の歌謡一直線』が聞こえてました。
月に一回、駅前の中華料理屋に家族4人で行って、僕は焼き飯を食べるのが楽しみでした。
なんで焼き飯を食べるのかと親に聞かれたときに、「だって安いやん」と答えたのを覚えています。
僕が中学に入った頃。今思えば軽い反抗期だったと思います。
勉強のためにと机に付ける蛍光灯のZライトを買ってくれることになったのです。
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