砂に書いたラヴ・レター
でも、帰って来て風呂入ったとはいえ、布団を敷く時間帯に部屋で汗がじわっとしてくる感覚、これって何年ぶりなんだろうか。いや何十年ぶりかもしれん。
いつもの年ならちょっと暑いな、せっかく風呂入ったのに汗かくのやだなってエアコンつけてただろう。でも今年は大義名分と他の人も全体で節約のためのちょっと無理をしている事から自分にも言い聞かせる事ができる。「もうちょっとやってみよう」と。
高校の夏休み、夜は遅くまで起きてオールナイトの二部まで聴いていた。聴きながら文書いたり曲作ったり詞を当てはめたり。18ぐらいの時はアクリルで絵を描いてたな。夏といえども夜は網戸にすればそれほど暑い事はない。
その時もこの心地よいぬる~いけだるさの空気だったよ。確か。時折通る単発の珍走団以外は静寂の街。近所を歩いた事もある。よく職質かけられんかったな。タバコの自販機まで行って買って帰る。街灯の青白い色のまわりには虫が集ってた。
ああ、そうだ。小山田いくの『星のローカス』の“暮らし”とオーバーラップしてたのかもしれん。ラジオでは浩子やみゆきが騒いでた。誰も起きてない深夜、俺は寝ている人の夢を覗いては物語を書き、ため息を掬っては歌を作った。
風も完全に止む真夜中には一人用扇風機だけが俺の提案にイヤイヤをするように首を振っていた。1/f揺らぎとかファジーとか言われ始める前の事だ。窓からは外の土や草やひょっとしたら虫同士が愛し合っている最中かもしれん匂いが流れ込んで来て俺を慰めた。
時にはGペンと証券用インクを使ってイラストを描いた。時には五線紙にスケッチペンシルで音符とコードを書き込んだ。友達からもらったカセットデッキと自分のラジカセをつないで多重録音しながら。音を重ねてはテープを交換し、ペン入れや色を重ねてはスクリーントーンを貼った。
ああ、当時の曲はほとんど残ってないし絵やイラストも処分してしまった。唯一残ってるのは書いていた詩だけだな。当時の自分には何もなかった。今の自分に何もないように。ただ、理由の無い焦りだけが自分を支配していたのを覚えてる。
こんな事を思い出させるのは匂いだ。夏の夜の匂いだ。エアコンで外気から遮断されていては決して思い出さない、いや死ぬまで思い出せない過去の記憶。生まれたときから空調の中の子供たちは匂いの記憶など持てるのだろうかと心配になった。
とか考えながら放置している自分のブログの旧友リンクをクリックしたら、つい最近更新した記事があった。
一瞬だけ、無意味に積み重なった時がレンズ状に薄くなって過去の自分を見たような気がした。
流れていく時の記憶。空間のどこにも残ってはいないはず。海岸の砂のように流れて行ってしまう。その実、自分の頭の中にだけ残っている、過去の自分からのラブレター。
不思議空間を行き来することができる、たぶんこれが夏の夜の正体なんだろう。
なんてな。
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コメント
こんばんは。ご無沙汰しています。
コメントいただいていたのを今日気づきました。ごめんなさい。
今はリハビリ程度にブログ書いてますので、
前ほど頻繁ではないですが、また来ます。
投稿: もんもん | 2011.07.04 20:29