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蜃気楼の街

2005, 11, 19 土曜日

money「生まれたて~のぼ~く~っ」て、女の子も“ボク”って言うことあるし・・・・


いやらしいっ!


というわけで私が、冷蔵庫から麦茶を出したら、表面が凍っていたごんです。皆さんいかがお過ごしですか?

冷蔵庫、冷えすぎなんですけど。
確かに古いし、弱く調整しようとしたら庫内の温度調整のツマミが割れていてどっかにいってしまっていた。
見ると“心棒”の部分しかないので、マイナスドライバで行けるかと思ったらただの一部だけ平べったい棒でした。
ラジオペンチ出動!
ちょっと弱めたけど、いいかげん買い換えなくちゃなぁ・・・でもお金が!


今日は短く一つ。
千葉の設計事務所が耐震強度を偽装

朝、携帯電話の無料ニュースでは、インタビューした女性がこう言っていました。

「地震が起きたらどう責任取るつもりだ」

・・・ちょっと違うような気がする。
確かに、法律では基準が定められているのだろうし、それをごまかした設計担当者、検査期間はけしからん。それは分かります。
しかし、たとえば震度5強まで耐えられるといわれている建物があり、震度6の地震が来て建物が倒壊し、怪我もしくは死亡したとして、その時の責任とは何でしょう?

地震を起こした責任?

たとえ震度が5強のときに倒壊しても、原因は何かといわれたら、地震のせいなんじゃないですか?
もちろん震度5強でも倒壊しないに越したことはないし、さっきも書いたように法律もちゃんとあるのでしょう。しかし、直接の原因は地震では?

これが、睡眠不足なのに無理やり働かせいてたトラック運転手なら話は分かります。明らかにその会社(と、一部運転手)の責任でしょう。でも相手は天災、大きさの予想なんてたつはずありません。
みんな、なんか勘違いしていると思う。

いっつも、震度5強以下の地震しか来ないでいてくれるという根拠も確証もないじゃないですか。その強度を前提にすること自体がおかしい。
どんな強い地震が来ても大丈夫な設計をすることが目的であって、“ここちへんでいいだろう”的な基準なんてあるはずはない。

『放射能はこれぐらいなら浴びても大丈夫』という根拠のない数字と同じ。

ただし、“いくらでも強くしないとダメ”となると際限が無く、建設費用は天文学的な物になるので現実的じゃない。そこで現実は費用とのトレードオフになる。

安いマンションは、その理由をはっきり言う。「強度、弱いです。」
高いマンションは、その強度を誇る。「だけど、高いですよ。」

市場原理で、文字通り棲み分けができる。うまいこと言うねぇ。


「最低限の強度を国で法制化しなくちゃあぶない!」言ってることは分かるけど、今回のようにチェック機能もない状態では、全く意味がないでしょう?だいたい国の検査機関というだけで機能しないのは見え見えなんですけど。許可を得るために賄賂や接待が増えるだけ。肝心の補強に使われるべき金は、政治家や役人の懐に入ってるだけじゃないですか。

高い金出して買ったり借りたりして住む家なんですから、自分の選択にある程度の責任を持たせるために、「強度と住宅価格」の自由化をすればどうでしょう?


そこで先程の「どう責任取る」発言。

誰かのせいにしなくてはいられないのでしょうか?

女性原理という言葉があります。
感情だけに任せて論理的でないことを言うと言う意味ですが、一般の日本人自体全体に女性原理に流されているような気がしています。スキャンダリズム。声高に叫ぶ。

“かの国”のようにならなければいいのですか。





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0:30:15 社会 | |

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