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ニートな午後3時

2005, 10, 17 月曜日

05-10-15_19-25というわけで私が、最近精神的に疲れ気味なごんです。皆さんいかがお過ごしですか?
←ファミリーマートで発見しました。何物かはクリックしてください。

スターバックスコーヒーって、世界で一日に4軒できてるんですって!なにすんねん!
僕はまだ一回も入ったことありませんけど、おいしいんでしょうか?


エチゼンクラゲ、若狭沖占拠 水揚げは半減

なんか、調理の仕方によっては食べられるらしいですけど、そもそもクラゲの幼生を食べる魚まで乱獲してしまったことが原因らしいじゃないですか。


新しい盗難防止機能、持ち主のウォーキング・スタイルを判別
このディバイスは持ち主の「歩き方」を判別することが可能で、もし変化がみられると直ちに機器をフリーズさせて使えなくさせる。あらかじめ記録されている「歩き方の特徴」との参照が常に行われ、もし違った場合はパスワードを入力しないと使用できなくなる。

『太陽がいっぱい』で、主人公のアラン・ドロンが、殺した人のサインを何回も練習してるシーンがありますが、歩き方も練習できるのでは?ね、デュークさん?


「音楽を奏でる枕」で兵士達リラックスか?

睡眠学習ですか?


テロ対策、改札口で顔撮影 東京の地下鉄で導入実験
プライバシー侵害を懸念する声が出る可能性もある。

外を歩いている状態を撮影することが、なんでプライバシーの侵害になるのかさっぱりわかりません。こんな事を言うやつは、『他人に覗かれては困る』ような恥ずかしい状態で外を歩いてるんでしょうか?



さて・・・権利と義務がまっさかさまになりかけている今の世の中、今日の『たかじんのそこまで言って委員会』で小学校の教育を取り上げていました。
『小一プロブレム』と言われる状態があるそうです。
授業時間中にじっとしていられない。言うことをきかない。

はっきり言って、躾でしょう?幼児から学校に上がるまでの間に、きちんと躾ができていない子供が暴れているんでしょう?
自分がまだ子供を持っていない状態で言うのはダメだと言う人もいます。
それは理屈としては正当なように思ってしまうかもしれませんが、その理屈で行くと、身体障害者のことは健常者にはわからない、もっと言うと男は女を、女は男を論じてはいけないという理屈と同じで、屁理屈です。
何年か前、まだ幼い子供を家につれてきた妹も言っていました。「子育てってどんだけ大変か。」それでもダンナど二人、きっちりしつけ教育して、二人の子供はちゃんと人の言うことを聞く子どもになっています。

そうそう、その姪っこ二人が昨日来たとき、ゲームセンターでとったというこんなものを持ってきました。

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まぁ、それはいいとして。

学校の問題、学校の問題と言われていますが、その半分以上はまず幼児のときの家庭での躾けに直結しているんじゃないでしょうか?僕はそう思います。


この前のすべての人の心に花をでも書きましたが、必要以上に甘やかし、子供が自分中心に周りを回せる状態で6歳まできた子供が、先生の言うことを聞くとは思えません。

女子高校生拉致・殺害事件の10代被告が首つり

自分勝手に簡単に人を殺して、手詰まりになったら死ぬ。
ゲーム脳。リセットすればいいと思ってるんでしょうね。


『委員会』でも、橋下弁護士がなかなかいいことを言っていました。

子供に人権なんて無い。

僕もほぼ同意見です。と言うと、「それなら虐待してもいいのか」とか、「子供は親の奴隷じゃない」などと極端なことを言いだす人権団体(不思議なことにおばさんが多いんですよね。なんで?)や田嶋陽子のような人たちがいます。
誰もそんなことは言っていません。
権利は、義務とともにある。当たり前のことです。
義務を果たすもののみが権利を受けられる。

それより先に、子供はまだ親の庇護を受けた存在で、自分の意思ができていないと定義しなくては、教育もできない状態になってしまいます。
虐待したり奴隷のように扱うことがあれば、それは『子供の権利条約』などという不思議なものを持ち出す以前におかしいことであって、教育の話とはまた別。
それなのに『権利、権利』と吹き込むことで、小学校の教師を生徒が集団で蹴ったり暴力行為をはたらきながら「おまえ(教師)は俺を殴るなよ。殴ったら“体罰”で訴えるぞ」などとほざくというのです。

それならいったいいくつで自分の意思が確立されるのかというと、僕は15歳ぐらいじゃないかなぁと思います。正確には14歳~15歳までの間。
理由の一つには、高校受験があげられます。
それは自分の一生を決定するひとつのターニングポイントだからです。
自分で考え、自分で決定する。
もちろん自分ひとりだけで決定するわけではありませんが、最終的に決定するのは自分。自分の責任で。

僕は中学のときに少し入院しまして、退院した後も体育の授業を受けることができなかったので、平常点が極端に少なく、志望していた『川端康成の母校』に行くことはできなくなりました。一つランク下の『嘉門達夫の母校』もOKが出ず、更に下の府立高校もなかなかOKが出ませんでした。入試でよっぽどいい点を取らなければ不合格になってしまいます。
連夜の職員会議。でもこれ以上下げるともうあんまりいい学校が無い(ごめんなさい)ので、僕は「もし落ちてもそれは僕の責任です。僕が決めたことですから。お願いします」と頼み込んで、締め切りの前日にようやくOKが出ました。

受験勉強を経て・・・・

なんとか合格しました。嬉しかったです。母親は泣いていました。
その冬のことはわずかに覚えています。こんな感じ


話が少しずれましたが、15歳までは、子供は権利を主張してはならない。“甘やかされる”権利など、人間の精神成長には何の役にもたちません。

仮定として、もし小中高と『何をやってもいい権利、何をやっても咎められない権利』という状態で育った人間が就職したとします。

多分一日で辞めてニートになるでしょう。
場合によっては自殺するかもしれない。

学校とは、特に小学校は、その子供が社会に出て行けるよう、社会に適応できる力をつけさせるところです。場合によっては“体罰”も必要です。

子供を叱ったり、叩いたり、“体罰”がなくなってからの学校の惨状は皆さんご存じの通りでしょう。更にその子供たちは今ニートとして社会問題化しています。

原因は?

そんなこと、分かりきったことです。

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0:05:00 教育・学校 | |

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