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完全無欠のロックンローラー

2005, 08, 29 月曜日

kokumin050805聞くところによると、今日は『焼き肉の日』らしいですね。

最初に怜ちゃん。ついに千秋楽お疲れさま。場所と時間の関係でやっぱり行くのは無理だったけど、いつか生で舞台を見てみたい。

さくらさんのところに国民新党のマンガの話が書いてありました。

もうさっそくこんなものが作られてます。

すごいすごい。日本の『もの作り文化』ってすごいですよね。もう2時間ぐらいかけてじっくり見てしまいました。いやー笑った笑った。
今日の記事の最後の方にいくつか(勝手に)貼り付けておきます。

もういっこ追加。
民主党ポスター博覧会


笑ったと言えば、直接関係ないんですが、ガンダマンファイトここなんかも爆笑です。

センスある!笑いのセンスが秀逸です。
下手なテレビでのお笑い枠番組より面白い!

で、苫小牧の暴力事件&優勝取消なんですが、


お侍さんも書いておられます。
駒大苫小牧の暴力事件?


部長側と生徒(とその父)の言い分が全く違います。
注意しなくてはならないのは、どちらも本人の弁だということです。

駒大苫小牧野球部長、部員に暴力 謹慎処分
被害生徒の父親、学校説明に反論
大会中は発表できる段階でなかった
弁護士交え校内に調査委

言い分が見事に食い違ってますねー。

最初“部員”とあったので、他の部員たちに聞いたのかと思いきや、はたかれた生徒の言い分らしいじゃないですか。目撃者も居るでしょうに。

今の子供たちって、よっぽど甘やかされているんでしょうね。“人様に迷惑をかける”という観念がないのでしょう。それも幼児の頃からの家庭内教育(躾)がされていないからだと言えると思います。


昔はよくたたかれましたよ。
ガンツ先生に似た歴史のオバハンセンセイ。教科書の背表紙を縦に持って

スゴーン!

と脳天を殴られました。5秒ほど意識が遠のくのです(本当)。
今そんな教師がいれば、即解雇・裁判なのでしょうね。

しかし、口で言っても言うことを聞かない子供は、はたいてしつけることは絶対に必要な場合があります。なまじ今の子供は「権利・権利」と義務を果たさないのにうまい汁ばかりをすうことが憲法で自分に保障されていると考えているようです。問題なのは、親自体がそういう考えを吹き込んでいる事です。

さくらさんも女王の教室について触れていますが、


「普段は個人の自由だとか偉そうに権利を主張するくせに、いざとなったら、人権侵害だと大人に守ってもらおうとして・・・要するにいつまでたっても子供でいたいだけなのよ」

うんうん。その通り。つくづくこの番組は倫理観の再発見を世に問うているような気がします。

★ ★ ★ ★ ★

逆に、本当に野球部員達は「被害者」なのか?こういう事を書いているところもあります。

何故なら日本に於いて学校というのは(特に義務教育では)一端各人一人一人に一校割り当てられたら最後、余程のことがない限り変えることが出来ないものであり、そして変えることが出来ないものである以上、そこで属する人間は例え不平・不満があっても、その集団の掟には絶対に従わなければならないからだ。もし「学校」という集団の掟に違反したらどうなるか?そこに待っているのは学校組織からの絶え間ない(身体的・心的を問わない)暴力である。故に「体罰」の場合、被害者はそれが「体罰」であることが分かっているにもかかわらずに沈黙を強いられるのだ。これは明らかに集団の暴力である。

「不平不満があっても絶対に従わなくてはならない」つまり先生には逆らえない。と言いながら、

確かに僕も高校生であるから、先生という存在に対し何か文句を言うことはとても難しいことであることは分かっているし、僕だって時に何か言うべきなのに何も言わないということはある。だが、もしその何か言わなかったことによって重大な犯罪が起こったのならば、僕はその行為に対し責任を負って処罰を受けるし、また他の人もそうするべきだとも思っているのだ。何故か?私たちは児童の権利条約(児童の権利に関する条約)に書かれているとおり「児童」という権利主体であり、そして権利主体である以上、その権利を履行する「責任」を負っているのだ。

高校生キター! やっぱり!
しかし↑ここで言おうとしていることの意味がいまいちよく分からない。「先生に文句は言いにくいけど、勇気を奮って言うべきだ」ということ?

だから僕は心境によって自らの主張を正当化しようとは思わない。だが僕は「正義」によって自らの主張を正当化する。暴力は絶対に許されることではない。暴力を行った人間は絶対に責任を負って処罰されるべきだ。そのような「正義」を遂行することこそが、絶対に心境を察知することの出来ない第三者に求められている責任なのだ。

やっぱり正義。
自説の論拠が正義って言うのもすごい。

もはや脳内妄想のマスターベーションです。
誰しも自分の中に、生まれてから過ごしてきた過程の中で、ある程度の基準はあるでしょう。しかし彼は自分の中にある基準こそが絶対で、それが正義だと信じて疑わない。
この高校生は、自分の中にある基準を絶対的正義とし、それに合わないからおかしい、と言っているんですね。

良く「『権利』には必ず『義務』が付いてくる」ということを言う人が居るが、これは物事を一面からしか見ていない。「権利」に付いてくるのはその権利を正しく履行する「責任」であり、「義務」というのはその一形態に過ぎない。例えば「納税」に関しては私たちは政府に納税を徴収して社会保障を行わせる権利を持っているのであって、そしてそれ故に私たちは自らを含めた国民に納税(もちろんその「納税」は全員一律のものでなく、その個人の状況によって0になったり普通の人の百倍になったりする)させる責任を負っているのだ。その責任をみずからに適用した時「納税の義務」となるのであって、最初から納税の義務があるわけではない。

共産党の人が言いそうな内容ですね。
彼は『権利』を、正しく履行する責任であると言います。つまり、(平易な言葉に置き換えると)自分が得をする時は、『権利』を主張する責任があるということなんでしょうか?
『権利』は、自分の得をする事象に対して“主張することは出来る”けど、“主張する責任がある”とは、一体どういう観念で毎日生きているのかと聞いてみたいです。義務は、例えば国民の義務と言えば、納税、勤労、教育です。これは国を支えるために必ず日本国民が遂行しなくてはならない義務です。その上で初めて国家(という組織)から権利が与えられるのでは?
決して『児童の権利に関する条約』からいただいているものではないでしょう?

彼の見方は、『これは物事を曲解して見ているに過ぎない。』と言えるでしょう。

この高校生は、いままで15~18年生きてきて、誰かと衝突したことや、利害関係が交錯したことはないのでしょうか?その場合、お互いに『権利を主張』しつづける“責任”があるというのでしょうか?もはや社会生活という範疇での基準ですら逸しています。

数年後彼が社会に出て行くとき、彼の思う正義など世の中には一切通用しないことを知ることになるでしょう。その時、1ヶ月で会社を辞め、ニートになってしまうのではないかと危惧します。


彼はそれ以外にも脱・マンガ嫌韓流のような“反論(?)”も書いていますが、あまりにも曲解すぎて頭がクラクラします。最初から日本がしたことは全て悪にしなくてはならないという使命感につき動かされているのでしょう。

今日の新聞で、優勝取消はしないと報道されました

駒大苫小牧高校野球部は優勝旗を返還して、この件に関して然るべき刑事措置(野球部部長の刑事告訴)&民事措置(暴力の被害者への賠償)をとるべきだし、そして高野連は(準優勝の高校を優勝に繰り上げしたりすることなく)今回の大会については、「優勝校無し」とすべきである。

あの・・・・全国の全ての高校球児に対しての冒涜なんですけど。
苫小牧の中の小さいいざこざ一つのために、『優勝校無し』なんてことになったら、今まで努力してきた全ての野球部員が暴動起こすって。
あなたの理想とする、小学校の運動会で手をつないでゴールするような社会は、未来永劫来ません。金融ビッグバンその他弱肉強食の世の中に移行しつつある今、あなたの理想は北朝鮮にしかありません。今すぐ移住してください。

★おまけ

kokumin050801

kokumin050802

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kokumin050804

0:05:00 社会 | |

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