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■水の写真

2004, 03, 13 土曜日

「水は答えを知っている」と言う本を読んでいる。
読むというより、途中に写真が入っていて、早い話が水の結晶写真の話。
ところが、ただの写真ではない。
皆さんもお聞きになったことがあるだろう。トマトやイチゴやキュウリや・・農作物にクラシックを聞かせるとおいしいモノが出来るというヤツ。
この本はその延長と言うか、水そのものに話を持っていっている。

いい音楽を聞かせながら水を凍らせると、美しい結晶になるという。
ベートーベンやショパンなどを聴かせると美しい結晶で、ヘビーメタルだと結晶がバラバラに壊れた形。不思議なことにビートルズだと美しい形が出来るという。
また、いい言葉を“見せる”と、これまた美しい結晶になり、毛無言葉や罵りなどは結晶にならず、バラバラだという。
その写真もいくつか載っているのだが・・・

読み進めているうちに、その解釈の身勝手さにあきれてきた。

ありがとう→きれいな結晶
ばかやろう→結晶にならず

さらに、愛・感謝という言葉を見せたときが一番美しい結晶が出来たと満足げに書かれていて・・・

疑問がひとつ。
同じ言葉を見せると、いつも“同じ形の”結晶が出来るのか?

疑問がふたつ。
世界には、ベートーベンやショパンを必ず美しいと感じる民族だけではないはず。各地独特の民族音楽があり、その方が美しいと感じるとか、いろいろ偏差があるはずであるが、それでもヘビーメタルは“汚い”音楽なのであろうか。個人的にはヘビメタは嫌いだけどね。

この筆者のコメント付きの写真が載っているんだけど、どんどんエスカレートしていく。
「ムカツク・殺す」の写真では、「いじめられている子供のようにも見えます」、ある湖の水は、「ゆがんだ人の形にも似たおぞましい姿」のが、加持祈祷をすると、「大日如来のような後光が射した」形になったんだと。
さらに、ミステリーサークルを見せるとUFOの形が、神社の水はお札の形が出たんだと。

もう、あきれるやらなんやらである。

完全に「愛・感謝」が素晴らしい事であるという大前提の元に動いている。彼にとっては、自分が素晴らしいモノは美しい結晶になり、自分が忌み嫌うモノは崩れた形でないと気が済まないようだ。
極めて宗教的すぎて、もうトンでしまっている。

誤解のないように言うが、感謝する気持ちも、ありがとう、ごめんなさい、という心も、クラシックもとても大切なものであると思う。良い波動を与えると作物が育つのも感覚として否定はしたくないし、子供に与える言葉も、言霊の文字通り、汚い言い放ち言葉よりも、成長を促す言葉の方がいいに決まっている。
しかしながら、水に言葉を“見せる”と結果か出るというのはいかがなものか。美しい気持ちの人間が、優しい感覚の持ち主が穏やかな心でそばにいるときに美しい結晶が出来るかもしれない。これは波動力学(量子力学)でたまに言われることで、「この宇宙は誰かが“観測”したから始まった。その観測時期は、“今”の可能性もある」という理屈とも絡み、否定しきれない。しかし、僕がヘンに思うのはこの筆者の思い込みと、視野があまりにも狭いところである。
おそらく、自分の認めないモノは、視野に入っていても、網膜に映っていても、“見えない”という人なのではなかろうか。自分の短い人生経験から言っても、そう言う人っているから。

0:00:00 学問・資格 | |

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