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■パレスチナ・ガザ

2003, 02, 10 月曜日

いつものように昼まで寝てた。
起きて、パソコンの電源を入れ、メールチェック..

トイレに行くときにふと気付いた。
そうか。ストーブをつけていないのだ。それなのに寒いと感じなかった。
決して暖かくはないが、起き抜けに火を入れなくても大丈夫なぐらいになってきたのか。まだ2月の頭だというのに。
確かに温暖化現象の兆しは現れている。

徹子の部屋でパレスチナのガザ地区の話をやっていた。
先の対戦が終わって半世紀以上が経っていて、その間絶えずいさかいが続いてきたこの辺りの人の意識の中には、もう戦い、死が普通になっているのではあるまいか。
もちろんグローバルな観点では平和の方がいいという大前提があるにしても、ここの地域の人はそれとは少し違う世界観を持っているはずだ。
丁度戦国時代の農民や兵士のように。
それを、黙っていても飢えることがない、殺されることがない世界からやってきて「かわいそう、かわいそう」と唱える日本人の姿はどう映るだろう。

戦後史観で考えがちな我々日本人の冒しがちな過ちがここにある。
相手もこちらと同じ意識、同じ危機感、同じ世界観であろうと考えてしまう民族的な幼さがあるのだ。
現在の日本国は、マスコミはほぼ東京発で統一され、言語もひとつ。民族は北のアイヌ、南の琉球はあるけどほぼ大和民族。千年以上昔に大陸から百済や高句麗の人が渡ってきたが、文化的には影響は大きくとも人数としては少数だろう。二千年以上昔にユダヤ人が渡ってきたという説があるが、真偽は定かではない。皇室の紋章がユダヤの印と似ているなどと言われるが..
話がずれた。今の日本はほぼ同一の「常識」という世界観をマスコミによって与えられ、育てられて同じ人間が大量にいる。これはあることに対しての反応がほぼ同じということにもなる。だから、ドッキリカメラとか常識クイズ、ワイドショーなどを見て全員が理解できるという世界的には極めてまれな現象が起こっている。A型民族という一面も見逃せないが、狭い島の中で他人と同調する、それを基本とした単一人格にも近いのだ。

パレスチナの人達の本当の気持ちは、多分日本人には分からない。パレスチナで生まれて育ってこなければ、決してわかるものではないはずだ。だから、手助けはできるとしても、左翼思想のような「戦争は悪、戦争反対」とプラカードを掲げて歩くようなこともパレスチナの人からしたら奇異に映るだけだ。
今の日本で、パレスチナ人が「交通事故は悪、自動車反対」と練り歩くのと同じ。

もう僕の言わんとすることがおわかりになるだろうか。
人工ユダヤ国家とパレスチナの戦いには、たぶん終わりはない。少し前までは、K・H・シェールの書くように地球外からの驚異で統一(わかりやすい例では、映画インデフェンデンス・デイのように)、と言う線もあるかな、と思っていたが、やっぱりそれはない。
彼らにとっては地球ではなく、パレスチナが、イスラエルが世界なのだ。
だからその地を勝ち取るまで、相手を殲滅するまで終わりはない。

だから徹子の部屋で森沢典子がニコニコ微笑みながら訴えていた(コラ!)ことは、どうにもしっくり来ないのである。

それならばどうすれば...と言うことだが、僕には再帰的帰結がある程度想像できるが、それはここでは言わないでおこうと思う。

しかし、ユダヤ人よりはパレスチナの方に、アメリカよりはアラブの人々の方により親しみを覚えるのはなぜだろうか。

0:00:00 経済・政治・国際 | |

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