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■10年前の気持ち

2002, 11, 17 日曜日

 百害あって一利無し。まるで役に立たない、いやそれよりむしろ毒か公害のような言われ方をする。
 やめられないことを理由に、「あいつは自己管理が出来ない奴だ」と囁かれるかも知れない。現にアメリカでは煙草を吸う人間や肥満型の人間は出世できない。
 体に悪いからやめなさいとか、そんなことをしていると長生き出来ませんよ、などと揶揄される。歯が黒くなるからセッチマがいるぞ、口が臭くなるぞ、部屋の壁が汚れる、大気を汚す、生まれてくる子に悪影響!その他色々、いいことなし。
 剣もほろろである。
 しかし、気持ちを落ち着けるとか、苛立ちがなくなるという効能も確かにあると思う。中国四千年の漢方薬がちやほやされ、かたや同じ草や木からできている煙草が槍玉に上げられるのは、なんとも不公平な話ではないか。これではインディアンから煙草を教えられ、ヨーロッパに持ち帰ったコロンブスにも失礼である。
 たしかに、吸い続けると体は悪くなっていくようである。肺にも良くない事は確かだ。解剖して取り出した肺が真っ黒になった様はなかなかにグロテスクなものである。
 しかし、寿命が2年や3年伸びたところでどうだ、という気持ちもある。煙草呑みは概してそうである。いらいらぎすぎすして100年生きるより、気持ちを穏やかに50年生きる方が人間らしいと思うのも当然かも知れない。
 特に、モノ書きにとっては、煙草とコーヒーと時には酒なんぞは、執筆になくてはならない3種の神器である。
 火を付けると、さながらアラジンのランプのように、煙の中から霊験あらたかにアイディアが閃くこともしばしば。なおさら、神がかり的に紫煙を崇拝するようになる。
 煙草を咥えること自体が幼児退行的な行為なのだそうだ。小さい頃母親から愛情をたっぷり注がれて育った男の子が、青春期から後母親の代わりとして、干し草の紙巻を唇に挟むのだという。
 嫌煙権とかいうヤツが当然のように主張され、新幹線の中も禁煙席ばかり。先頭と最後尾の車両のみで喫煙出来る様は、「キセル乗車」と言う言葉を違う意味で使わせることになるかもしれない。

これはほぼ10年前に僕が書いた文章である。
今、この中の気持ちとは正反対の考えになっている自分。
それでいい。

0:00:01 心と体 | |

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