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■終電

2002, 03, 16 土曜日

「終電」という言葉は都会にしかないと思ったのは、町に住む自分の奢りだったろうか。片田舎を走る2両しかないその最終列車に乗ったとき、僕はそんなことを考えていた。
何が楽しくてこんな田舎の暮らしをしなくてはならないんだろう。確かに水はまずくはないし、空気は少しはきれいなのかもしれない。ただ、日が落ちるとともるはずの町の灯がない。太陽が沈むと夜なのだ。それもいきなり深夜。東京には夜がないと千恵子は言ったが、ここにはその夜さえない。6月、これから夏が来ますよとテレビやラジオであれだけ喧伝しているはずなのに、まるで仕事納めした大晦日のように静けさが居座っている。にぎやかさがないのではなく、”静けさ”そのものが存在しているような雰囲気だ。ここでは、魑魅魍魎が跋扈していたのはそう昔のことではないのだろう。万物に神が宿り、全てのものに畏敬の念をを抱いていた古代日本人の感覚は、この真っ黒な山から来るものなんだろうな・・
山・・そう、この山を越えれば街がある。にぎやかな、街。夜は眠るそぶりを見せずに、自分が自分であっても、そうでなくても許してくれる街。誰もが匿名の人込みの中でひねもすたゆんで居られるところ。心に傷があっても、生きることに不器用であっても、傷を舐めあうことも、ただすれ違うこともできるところ。

(帰りたい・・)

会社の業績が下向かなかったら。この不況で大量解雇なんてなかったら。取引先が倒産しなかったら。考えてもきりがないことを、また今日も考える。たまたま女房の実家の親が「それならこっちへ来て仕事をすればいい」と言ってくれたのは確かに渡りに舟だった。解雇までの半年で、神経がすり減っていた。疲れを癒したかった。僕にとって女房の実家と言えば、「田舎」。ただそれだけの認識しかなかった。鴻上が言ってたなぁ。「フグなんてあ~た、我々役者にとっては、”喰ったら死ぬ。”これだけの認識しかないものをですね・・」直接今の自分に関係ない世界のものは、ただの記号としての意味しかないんだよなぁ。早まったかなぁ。

女房は俺と違って楽観主義、というか脳天気と言うか、だからこそまだ夫婦仲がまずくなることもなくやってこれてるんだろうと思う。どうしてこんなにあけすけなんだろう、と思うこともある。僕があまり酒を飲まないのに対して、女房は実家共々ビールをよく飲む。決して酒乱ではないし、クダ巻くようなこともないけれど、大瓶を2本開けても別に普通にしているのを見ると、逆にそれも神経に触ることがある。
まあ、俺にしてはいい嫁さんだと思う。俺なんかにしては、上出来なかみさんだと思う。決して器量好しではないけれど、それはこちらも言えた義理ではないわけで、それよりも丈夫で長持ち、精神的にも健康で頭も悪くない。子供こそまだないけれど、できれば二人ほど作って、体の丈夫さはかみさんに似て欲しい。

慣れない営業職について2ヶ月。職場の人は皆いい人ばかり。女房の実家に一緒に住んでいるわけではないので(でも歩いていける距離だけど)その点は少しは気が楽で・・・

車両の中にぽつりぽつりと座っている人がいる。15人くらい。8時台でこの数は、こっちでは多い方だ。赤字路線、なるほどなあ。でも無くなってもらっちゃ困る。座席端っこに座っていて、こうべをめぐらしてガラスの向こうを見ようとしても、真っ黒なガラスがはまっているようで、社内の蛍光灯がそのまま反射して鏡のようになっている。と、次の駅が見えてきた。少しカーブしている向こうに駅舎の蛍光灯と、その駅舎の周りに少しだけ赤い看板や黄色い看板、あの水色とピンクはコンビニだろうか。

電車が止まった。冬場はなんと自分で押しボタンを押してドアを開けるのだそうだ。今は自動で開いてくれる。そのドアが開いて、たった一人、グレーのスーツを着て、・・ネクタイは少し緩めている少し前頭部が滅び行く大草原になっている男が入ってきた。頬が赤い。年の頃は50代後半か・・?薄いビジネスバッグを抱えて、足取りはしっかりして・・・いや、しっかりしてない!電車が走り出すと少しよろめいた。そのままドスン!と開いている席に座った。ちょうど正面の位置だ。

電車が上り坂を走っていく。と、突然先ほどの男性が、「ぐっ」と唸って立ち上がった。歩き方がヘン。さっき入ってきたドアの方へにじり寄っていく。まさか、吐くのでは?同じ車両の人は皆顔色が変わった。向こうの端のOLらしい女は、バッグで鼻から下を覆った。それが何の効果があるのかは知らないが、目だけは注視している。
全員が固唾をのんで見守る中、次の駅が見えてきた。降りるのか?「○○~○○~」車掌のアナウンスがあった。
電車が止まって、ドアが開いた。吐くのか?
と、その男はくるりとこちらに振り返った。ヤバイ!こっちに向いて吐かれる!
と思った次の瞬間、想像だにしなかったことが起きた。

「ぷう~~~~~~~ぅぅぅぅぅっっ」

一瞬、頭の中が真っ白になった。
なんだ?何が起きたんだ?
次の瞬間、後頭部を血液と電気信号の波が広がっていくのを感じた。
放屁したのだ!それもロングバージョンで!
爆発的理解は、一般的に”驚き”という言葉で表され、相手に伝えられる。しかし、この場合は爆発的不可解だった。

扉が閉まった。ゆっくりと動き出す列車の窓越しに、ホームに降り立った元乗客たちが、「なに?これ!くっさ~い!」「うわっ!くさっ!」「くさっ!」口々に叫び出す。その一人一人が様々な驚愕の表情をしながら、叫び、やがて後ろの闇に消えていった。
男はまたどかっと座った。OLは目に涙をためている。おそらくは笑いをこらえているのだろう。かくいう僕だって、今にも吹き出しそうだ。でもちょっと待てよ?なんでわざわざ開いたドアから表に放ったんだ?まさか、同じ車両の人を巻き込むまいとして?
酔っ払っていたら、そんなことお構いなしにぶっ放すだろう。それで体が浮き上がろうと、酔った本人は知ったこっちゃないはず。そういえば前に物知りクイズで、明治時代の特急列車の中で屁をこいたら、罰金5円だったと聞いたことがある。当時の5円は大金だ。だから、おケツにコルク栓をしてから乗ったとか乗らなかったとか。そんなことを思い出すと、また笑いがこみ上げてきた。・・・と、男がまた立ち上がった。今度は前より更に苦悩の表情を浮かべている。「まもなく××~」

同じだった。またドアが開くと、尻を表に向け、前より更に凝ったバージョンを披露した。
「ぷうぅぅううぅぅ~~~~ぅぅぅ・ぅ・・ぅ・・・ぅ」
終わり方はフェルマータ(ゆっくり終わる)だ。考えたら人間の体は位相幾何学的には一本の筒状の管なんだから、管楽器にもなるわけだ。原始人類が初めて楽器に接したのは、この現象ではないだろうか。菊門のリードか・・
そこまで考えたら、更に強く笑いがこみ上げてきた。OLは泣いていた。

次の駅でも、彼は演奏した。
「ぷうっ、ぷぅ~ぷうぅぅ・・ぷっ・ぷっ ピーッ」
最後のピーッは車掌の笛だが、あまりにもリズムに合いすぎて、きよしのズンドコ節かと思った。この男と車掌はグルかとも思えた。しかし、ドアが閉まってもまだ男は立っていた。そして、
「スカッ」
僕は聞き逃さなかった。そして、身構えた。やがて、それはやってきた。

せきをするもの、顔をそむけるもの、ココリコミラクルタイプのように涙を流すOL、それは僕の目にしみた。

男はすまなそうに席に座ったが、やがてまた立ち上がった。
他の乗客も立ち上がってしまった。が、男が話し始めた。
「皆さんには大変申し訳ないと思っています。私のおならはなぜかとても臭いんです。特に酒を飲んだ後は自分でもむせるぐらいなので、皆さんにご迷惑をかけるわけにはと努力したんですが、失敗してしまいました・・」
まじめな言い方に、車内は水を打ったような雰囲気になった。レールのガタゴトという音だけが聞こえてくる。
「今日も、酒を飲むつもりではなかったんですが、取引先との大変重要な席でして、どうしても断るわけに行かなかったんです・・で、その間ずっと我慢したものを、その後処理しようとしたんですが・・最終電車だったもので・・慌てて駆け込んでしまって・・」一呼吸置いて続けた。「どうも申し訳ありませんでした。」
彼が頭を下げたその瞬間に、また、「スカ・ぷっ」と音がした。しかし、もう誰も笑うものはいなかった。彼も辛いのだ。本意ではないことに付き合わされ、その結果なのだ。
やがてパラパラと拍手が起こった。頑張れ、サラリーマン。打ち合わされる皆の手はそう言っていた。
彼の表情が少し明るくなった。やがて、席に座った。

僕は、自分に変化が起きていることを感じ始めていた。別に罪を懺悔する必要はない。見ず知らずの他人なのだから。匿名性が保たれている、というか初めから名乗って電車に乗り込んで来るわけではないのだから、彼はそのまま逃げてしまうこともできたのだ。しかし、彼の精神がそうしなかった。そうできなかった。彼にとっては、他人ではあるけれど、同じ場所に集った人は半分知り合いとでも言うべき存在なのだろう。
田舎とはこうしたものか。匿名性より、調和を求め、行っていく場所なのか。それは、かつては日本中がそうであったことの証明なのか。

この真っ暗な場所で毎日を過ごす運命共同体的な意識があるのだろうか。

電車を降りるとき、ガラスの向こうを見つめながら考えていたことは、もうどうでもよくなっていた。暖かいものが胸の奥にしまわれた気がする。僕は今まで街の中で、通行人Aとして生きることだけをやってきて、自分になろうとしなかっただけかも。
そうじゃない生き方もあるかもしれない。金にはならない人生かもしれないが、自分が持てる人生なら、後悔しないだろう。

今日のことを嫁さんに話してやろうと思った。

★ ★ ★ ★

あまりにも文句言いの話ばっかりだとメールでおしかりを受けたので、今日は久しぶりに創作してみました。こちらの仕事についての話にもこんな感じの文章がいっぱい詰まっています。もしよければ覗いてやってください。
テレビ東京の「芸術に恋して!」はいいなぁ。毎週見てます。

0:00:01 旅行・地域 | |

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